○教科と情報教育 担当:石野(新潟県立教育センター)
参加者 永野 泉 関谷 歌川 倉斗 西守 林 谷岡 前沢 相原 学生さん2名(名倉・加藤)

石野
○15年前の松代町の豪雪の様子(なんでや?)
○5年前のプレゼン 体系的な情報教育に向けて
  ・小学校では教科の枠にとらわれない ・中・高校では教科としての「情報」
  ・既存の教科の中で「情報活用の実践力」を養う
  ・国語では 言語情報に関する「情報活用の実践力」
  ・社会では情報を収集・処理・表現  ・算数・数学では処理
  ・理科ではバーチャルリアリティ  ・音楽・図工・美術・書道では表現
  ・外国語ではコミュニケーション  など
○来年度から新指導要領が実施されるが....。
  ・中心で動いても全体がなかなか動かない。
 ・総合的な学習の時間が動いているが、教科は?

歌川
 各学校における年間指導計画を作るときに、教科の中で情報教育をやっていこうという意識が薄い。教科と総合と情報(パソコンの操作)になっている。

関谷
 情報教育に必要性を感じない教員が多い。学習指導要領から情報教育が見える人と見えない人がいる。言われない限りやらない教師の体質。

西守
 市ではコンピュータをとにかく使えという方向である。市へのパソコンの使用時間の報告がある。目標リストが分かっていないとコンピュータに向いてしまう危険性がある。
 図工で作品を作っても、ほかの教科ではそれが生きてこない。目標リストを理解することで情報活用の実践力がどの教科・総合でも生きてくる。
 国語の説明書作り(一輪車)では、子どもに内容についてのこだわりが出てきた。

谷岡
 情報モラルの部分が普通の教科とは違うところである。教えるという立場になるとそれはモラルの部分ではないか。情報教育を情意概念としてとらえるととらえやすいのではないか。

永野
 目標リストは教科のことは考えていなかった。その後、教科の中に入ってきてどこにも入らないものを「情報」という教科とした。情報教育は人間教育的なもの。
 リストのh〜oはわざと抜かしている。小学校から固めていく戦略。

石野
 教科書ではメディアリテラシーを取り上げている。来年度からは教科書を使っていると自然に情報教育をやっていることになる。しかし、分かってやるのと分からないでやるのとはまったく違う。自立する教師を望む。

学生(名倉)
 情報教育の必要性を周囲は感じていないのではないか。

石野 方法的には目標リストを達成しなければならない。

永野
 こういう力を付けてほしいということを言い続けていく。ねらいを伝えていく。パソコン抜きで情報教育を。課題解決のプロセスが何年生くらいからできるのか。

永野
 a(表現)は将来消える項目。国語などに置き換えられる。単なる情報処理能力ではなく、問題解決における情報処理。

谷岡&石野
 教科書に頼ってしまう教師。レシピづくりに期待する。

永野
 学習指導要領にはそこまで書いていないが、教科書では情報教育が深く浸透している。作った人たちに拍手。

相原
 ここにいるのは石野先生が先生のイメージと違うから。先生の在り方が変わってきているのではないか。永野先生が明治以来の変革の流れであるとおっしゃっている。明治の時は国家の命で変わったが、現在は先生個人で変わって行かなければならない。象徴的なのが情報教育の分野ではないか。

前沢 先生の言ったことは覚えている。先生が変わっていくことが大事ではないか。

谷岡
 情報教育を進めて行くには国語が非常に大切な役割を果たす。今度は編集部の人間を連れてくる。

永野
 少なくとも現場の先生でレベル2くらいは○を付けられるようになってほしい。教科の研修の中で情報教育のリストをクリアできるようにしていく。

歌川 教科研修の中で初任者から早いうちに情報教育の研修をさせていく。

永野 だれが指導者になってもできるようなパッケージを作ってほしい。


 茨城県の中理の教師である。この2年間で周囲がどう変わっているのかが不安である。中学校でも総合をやらなければという意識があったが(2年前)、なかなか進まない状況だった。(石野:理科が一番中途半端)


 昔から情報があるのに、いまなぜ情報教育か。
 教科の中で情報教育が横に串刺しをしているが、情報=コンピュータがいまだに残っている。

関谷
 情報教育という名前を変えた方がよい。アルミ缶を集めれば環境教育。施設を訪問すれば福祉教育。コンピュータをすれば情報教育。

永野 情報教育は埋もれてしまった方がよい。内容は生きていく。

林 情報教育はまだ浸透していないのでは。

泉 メディアの部分だけ学年の上の部分は残っていく。
一番上は評価リスト(〜できる)下は目標または体験リスト(〜する)